冠光寺流柔術岡山道場
フォーラム 冠光寺流
ご意見、感想、論文の投稿をお待ちしています(短くても可)。
添付でお送り下さる場合は:yabukoji@gmail.com宛にお願いします。



私の冠光寺流修業歴 T
『合気はあった』

by 恒藤和哉

 「透明な力」(木村達雄著 講談社)という書籍があります。
 今は文庫本になっているようですが、この本を学生時代に何度も繰り返し読みました。
 しかし、いくら読んでも意味が理解できません。
 その中でも特に、この表紙裏の写真の中に門人の方が手刀で打ち込んできたのを
 佐川宗範が片手で受けそのまま受けて、受けられた門人がそのまま後方に吹き飛ぶ
 ようなものがあります。
 説明には、「打ってくるのに対し、軽く触れただけで相手を飛ばしてしまう合気の技」と
 あります。
 これを学生時代に見て、「相手が腰砕けになるようなこんな技は有り得ない」という思いと、
 「ひょっとしたらこの世にあるのかも」という思いが交錯しました。当時、多少の武道の
 心得がありましたが理解はできませんでした。
 それから長い年月がたち、ご縁があり冠光寺流柔術に入門させていただきました。
 ある時、稽古が終わったあとに思い切って保江先生にこの技について尋ねてみました。
 すると「では手刀を打ち込んでみてください」と言われたので、手刀を打ち込んでみますと、
 なんと私は打った手のそのままの形で後ろへ大きく崩されてのけぞりました。
 その場は路上でしたので先生は途中で合気を止めてくださったようです。
 保江先生はあっさり「この技は原理が・・・ですよ」とコツを教えてくださいました。
 「あの合気の技は、本当にあったんだ!!」心の中で嬉しく叫びました。

 社会人になっても、この「透明な力」という本を持ち続けていました。
 しかし、40歳になったある時、何故か突然すべて虚しくなりました。
 「自分は世の中の理屈について何も理解できずに年を取るだけだ。
 もう人生の半分を浪費したかもしれない。
 宇宙や時間といった自然の成り立ちは全く理解できないだろうけど、せめて人間が使う
 合気くらいは、その一旦でも理解したかった」という後ろ向きな思いと、「社会人として
 そんな馬鹿げた妄想はやめて普通の人間として振舞おう」と、またしても思いが
 交錯しました。
 「いづれ佐川道場で修業された門人の方が本を出されたならそれを購入し、読んでヒントを
 得られれば・・」と諦めることが社会人として当然の考え方であると自分なりに納得しました。
 そして少しだけ心の中でつぶやきました。
 「神様、もしいらっしゃるのならば私に合気を少しだけ教えてください」、それからしばらくして
 出会うのが保江先生の書かれた「合気開眼」でした。
 ウソのような本当の話です。
 合気は、実は使い方によっては非常な危険な技になり得ます。
 一方で、修業そのものを楽しむのなら、一生かかってもその全てを理解できないかもしれない
 広範囲にわたる非常に面白い世界があなたを待っています。
 そしてもう一つ、相手を倒す柔術の技だけでなく、活人術として、普段の人間関係だけでなく
 人生をも愉快に生き抜くことのできる可能性をも持っています。
                                        (13/8/26 恒藤和哉)
 ※内容は恒藤さんが冠光寺流に入門された2008年の出来事です。



私の冠光寺流修業歴 U
『道場見学の日』

by 恒藤和哉

 大東流を学ばれた柔術の先生が岡山にいる。
 しかも佐川宗範に直に学ばれた方が。
 「合気開眼」を読んでその事実を知ったときには心臓の鼓動が高鳴りました。
 一度でいいから、佐川宗範直伝の技を見てみたい。
 その優位性は何なのか。合気道とどう違うのか。

 書籍に掲載されていた住所に連絡をとり、さっそく野山武道館へ見学に駆けつけました。
 保江先生の指導されている冠光寺流については、柔術の稽古だから、筋肉隆々の
 猛者がたいへん激しい稽古しているに違いない。
 どうぜ稽古は一部しか見せてもらえないだろう。
 ただ基本動作くらいは見せてもらえるだろうから、動きの中に大東流技法の秘密が
 垣間見れるかもしれない。
 そんなことを考えながら、道場内に入ってみますと、なんと男性の門人に混じって
 若い女性たちが数人いました。ものすごく違和感を感じました。
 柔術の道場に女性??
 そういえば、本には保江先生はノートルダム清心大の教授とありましたから、
 これは先生も仕方なく合気道の稽古も兼ねて指導されているのだろうと思いました。
 しかし、これは勘違いであり、実はこの女性達の存在に意味があったのです。

 二度とないチャンスだから一瞬の隙も見逃すまいという意気込みで稽古を見つめました。
 ところが、保江先生が冒頭にいきなり、「今日は、遠方から見学の方が見えております。
 せっかくですから、冠光寺流と大東流の技の違いを説明しながら稽古しましょう」と
 言われました。
 これにはビックリ仰天。読心術でも使って腹の底まで見透かされたのかと驚きました。

 技の紹介が始まってから、更にビックリ。もうどちらが冠光寺流か大東流かも
 わかりませんでしたが、今まで知っている武道とは異質であり、全く知らない技術体系で
 あったのです。
 普通、武道の技というのは相手の弱点を攻めるのがセオリー・・・のはず。
 「この武道は、相手の一番安定している(はず)部分をそのまま攻めている!」
 そう直感したとき、頭の中で何かが180度回転したような衝撃を受けました。
 それからはもう驚きの連続でした。

 嫁には、ほんの1時間ほど見学してくるだけだからと言って家を出ましたが、
 気付けば4時間の稽古全てを見学し、そのまま入門しますと返事してしまいました。
                                      (13/9/1 恒藤和哉)

 ※内容は恒藤さんが冠光寺流に入門された2008年の出来事です。



私の冠光寺流修業歴 V
『合気の威力』

by 恒藤和哉

 道場へ少し遅れて参加したときのことです。
 保江先生が見学者と話をされていました。
 先生は私を見るなり、「恒藤さん、ちょうどよかった。いま横面打ちをやっているところです」
 準備運動はおろか、礼をするまもなく稽古に加わりました。
 後で聞きますと、その方は後に入門されるのですが、物理学を専門とされている先生との
 ことで、保江先生はたいへん嬉しく思っていたようです。
 その高揚感があったのか、私の知る限り最高レベルでの合気(愛魂)を経験できました。

 保江先生の手が私の横面打ち手刀に触れた瞬間、大きさが5メートルはあるような
 質量のないボールをいきなりボンと手渡されたような感覚が私を襲いました。
 体全体に作用する巨大な運動量を感じ、とても立ってはいられません。
 いま考えますと、「合気」と「透明な力」を同時に掛けられたわけです。
 想像いただけるでしょうか?
 まったくなすすべがなく数メートル飛ばされました。
 体もまるで質量を失った紙のようになって、2、3回転して畳に打ち付けられました。
 おそらく傍で見ていた人は、「恒藤は、なんと大げさに受けをとっているのだ」くらいにしか
 見えなかったと思います。
 私も自分の体ながら、どうにも制御できません。
 目は開いていたのですが、そのまま思考が停止し時間が止まったたような感じに
 なりました。
 そして同時に頭や体の後ろが妙に心地よい暖かく柔らかい空気に包まれたように感じ、
 安心感で満たされ、崩されて転倒することに対する嫌悪感や恐怖感がまったくありません
 でした。
 理解いただけるでしょうか?

 初期の冠光寺流の動画を書籍「唯心論武道の誕生」の付録DVDや冠光寺流柔術DVDとして
 公開されております。
 一部はYouTubeでも見ることができるのでご覧になった方も多いと思います。
 ネットでの批評を見ますと、「あきらかに感応した受け手」とか「ラポールによるもの」などの
 懐疑的なものが掲載されています。
 その感想はやむを得ないものと思いますが、合気を本気で掛けると相手はそういう形で
 崩され投げられるのです。
 こうした本気の合気の技の難点としましては、実は受け手が受身を充分にとることができず、
 脳震盪を起こすケースがあります。
 これも「唯心論武道の誕生」にて保江先生が告白されています。
 それ以降、先生は最高レベルの合気(愛魂)を封印されたかもしれません。
 ある時に一度だけ同じレベルの合気を掛けていただいたのですが、やはり案の定、私も
 受身が取れずに脳震盪寸前となりました。
 合気(愛魂)を掛けられるとあまりの気持ち良さに受身などの体の防衛反応が遅れて
 しまうようです。
 私は、たまたま、そうした合気(愛魂)の受け手としての貴重な経験をさせていただきました。
 以上、嘘偽りのない実話としてお伝えしておきます。
                                      (13/9/11 恒藤和哉)
 ※内容は恒藤さんが冠光寺流に入門された2008年の出来事です。



私の冠光寺流修業歴 W
『絶望の稽古』

by 恒藤和哉

 最初に習う技が合気揚げといい、両手で押さえ込まれた状態から相手の腕を
 押し上げます。
 「さあ恒藤さん、どうぞ」ニコニコしながら師範代に手を押えられるのですが、全く
 揚がりません。
 時間と冷や汗だけが静かに流れます。
 関節技や投げ技については多少の心得があったものの、全く対応できません。
 柔術技法によくある掴まれる前に少し動かすとか、そうした姑息な手段を用いる
 技でなく、がっちり捕まえられて相手が体重を載せてから対応する技なので、
 どうにもごまかしがききません。
 私も腕力には自信がありましたが、そうした状況では少々抵抗したくらいではびくとも
 しません。

 「恒藤さん、笑ってください。笑っていないですよ」と言われ稽古が終わります。
 自慢げに武道の心得がありますなんて言わなければ良かったと後悔するも、もはや
 手遅れ。
 何もできないまま、次の技へ。師範代の次は、女子大生との稽古。
 (保江先生の学校の生徒さんだから、ケガをさせないよう丁寧に対応しよう)
 力を入れないようにして軽く投げて終わらそうとしますが、これがまた技がかかりません。
 当身を入れて倒すわけにもいかず、ましてや力任せで捻って攻めるわけにもいかず、
 たいへん気まずい空気が流れます。
 女子大生ならこちらが教えてあげるくらいのものだろうとタカをくくっていますと、
 逆技さえ満足に掛けることができず、相手は痛そうな表情となり、逆に、「恒藤さんは、
 相手を押さえ込もうとするから技がかからないんですよ」と注意される始末。
 (柔術で相手を押さえ込んではいけないなんて、どういう意味だろう?)
 (力はかなり抜いているつもりなのに、まだ力を抜けと言われる。どうしたものか?)

 自分の不出来は棚にあげ、こうした稽古で合気(愛魂)がつかめるのだろうかと疑問も
 湧いてきました。
 そして、ついに合気揚げの稽古の時間が苦痛に感じるようになってきました。
 喜び勇んで入門したものの、単調とも思える稽古の連続に何か不思議な技が直ぐに
 できるようになるのではないかという甘い期待もうち砕かれ、失望しかけていました。
 たまに、「あ、いい感じですね」と言われて師範代が少し崩れかけることもありました。
 しかし、何がうまくいったのか全く実感が湧きません。
 (あまりにも技が出来ないので、哀れに思って崩れるふりをしてくれたのだろうか?)
 もう、雲を掴むような気分です。
 周りの方々は楽しそうに技を掛け合っていますし、自分だけが取り残されたような
 絶望感でいっぱいでした。
 そうした絶望の稽古が数ヶ月続きました。

 (何が、保江先生や師範代と違うのだろうか?)
 休みの時間もほかの方の稽古を見つめていましたが、わかりません。そして、見るに
 見かねたのか保江先生が一言くださいました。
 「恒藤さん、いっそ、◯◯◯が無いと思って稽古してみてください」
 (ええっ!力を抜くということは、そこまでの意識が必要なのか!!)
 同時に、数学でいう極限という言葉が脳裏に浮かびました。私のやっていることは、
 10の力を5や4にすることで、先生が言われていたのは極小にまで下げろと言われて
 いたんだ。
 またもや頭にガツンともらったような衝撃がありました。

 そして、私の全く知らない「意識と魂の世界」がそこにあったのです。
                                      (13/9/16 恒藤和哉)
 ※内容は恒藤さんが冠光寺流に入門された2008年の出来事です。



修行歴を読ませて
いただいて

by 浜口隆之

 ああそうだったなあ,と非常になつかしい思いがいたします。
 私の入門は2008年8月ですが,その頃の保江先生の教えは「内面の変化」「しもべに
 なる」というものでした。
 師範代のFさんからは「楽しいことを思い出してください」と言われました。
 しかし,いくらそうやってみても,考えているだけでは何の動きも起きません。
 で,少しでも自分から動こうとすると,ぶつかってしまいます。
 「いったいどうせえっちゅうねん!」と毎回思いました。
 あの頃入門したみなさんは,みんな同様の体験をされているのではないかと思います。
 五里霧中でした。

 当時はみんなができないので,保江先生はさまざまの力学的な技法を教えて
 くださいました。
 そうでもしないとお互いに倒せないからです。
 合気を補完する力学技です。
 (その例はDVD『保江教授の合気テクニカル』に紹介されている)
 それらを使ってみんな何となく相手を倒していましたが,それらは合気ではなく,
 五里霧中であることにかわりはありませんでした。
 このあたりまではみなさんおそらく,同じ状況だったでしょう。

 私の場合,合気への突破口となったのは2009年春に保江先生から伝授された
 ある技法でした。
 それはひとつの具体的な動作でした(内面技でもなく力技でもない)。

 他のみなさんがどのようにして突破口を開いていかれたのか,私はほとんど聞いた
 ことがなく,非常に興味があります。
 修業歴の続きが楽しみです。

 (13/9/21 神戸道場 浜口)



私の冠光寺流修業歴 X
『道場から日常へ』

by 恒藤和哉

 力を抜く、自分の殻を破る、相手を愛するなどの魂の技とあわせて、立ち方、歩き方など
 様々な秘伝や鍛練法を保江先生から伝授いただくことで、今までの心と体の使い方を
 かなり変える必要があることがわかり、驚きの連続の稽古が始まりました。
 合気を補完する技法であるそれらは、ある程度書物などでは公開されています。
 ただ、その「度合い」が私の想像を遥かに超えたところにありました。
 気づくには長い時間が必要です。
 合気に似た合気補完技法がなぜ必要なのか。合気に至るにはなぜ武術の修行が
 必要なのか。
 合気から愛魂へ至ったのはなぜか。

 これについての私の考えはまた機会があれば後述したいと思います。

 ただ、そうした世で言われる秘伝を学んでも実際の技法として昇華させるには至らず、
 なかなか上達しません。
 しばらくすると、その内容をすっかり忘れており、あとで「しまった先週言われていたことを
 忘れていた」と何度も後悔しました。
 習ったときはなんとか出来ていても翌週にはまたできなくなることも多々ありました。
 それらは普段の生活では行わない動作や想いなので、なかなか身につかないのです。
 (鍛練を継続し言われたことを徹底的に身につけるにはどうすればいいのだろうか)
 (教わる内容が多すぎる、稽古の時間がとても足りない。消化不良だ)

 そうした思いを反芻し続けていたある日、私にしては珍しく良い考えが閃きました。
 「そうだ!この魂の技法や身体の操作方法を普段の生活でも行えばいいんだ!そうすれば、
 それが普通のやり方となって、稽古時に意識しなくても普通にできるようになるのでは
 ないか」
 冠光寺流の基本は愛ですから、武術の稽古時だけに限定する必要はないわけです。

 今までの道場での鍛練を普段の生活の場に持ち込みます。
 立ち方や歩き方も稽古時に習ったやり方で歩いてみました。
 肘から先の使い方についても車を運転中に常に行なってみることに。
 また、魂の技については冠光寺流の極意の一部は既に書籍で公開されていますが、
 相手を大事に思う、愛する、・・・自分の意識を無限に開放し相手の魂を包み込むことで
 相手は崩れます。
 ある時、仕事の関係で訪問した相手に愛魂をめいっぱい掛けてみました。
 すると想像以上に不思議な出来事が続くようになりました。
 武術でないのでその内容は割愛しますが。
 (あれ?保江先生が「合気開眼」で書かれていた国連大学の話と同じような効果だ)
 (こうなったら、いっそのことすべての生活の場で愛魂を使ってみてやろう)
 イタズラ心がそう囁くので、自分の生活や会社の場でいろいろ試してみました。

 一方、「合気開眼」の効果でしょうか、当時の野山道場には日本全国から、びっくり
 するような武道武術の達人方が大勢訪れることになるのです。
                                      (13/9/25)
 ※内容は恒藤さんが冠光寺流に入門された2008年から翌年にかけてのものです。



私の冠光寺流修業歴 Y
『野山道場の達人@』

by 恒藤和哉

 今はもとのご自分の道場に戻られていますが、片岡さんという方が稽古に来られて
 いました。
 「唯心論武道の誕生」という保江先生の書籍でも紹介されていますが、日本の各種
 古武術から中国拳法、そして芦原空手の有段者でもあり自らの道場も持たれており、
 まさに武道家と呼ぶべき方でした。
 更に仙術や気功も取り入れられて研究されているとのこと。
 片岡さんと稽古すると、得体の知れない動きの中でこちらが全く身動き取れないよう
 折りたたまれてしまいます。
 レベルがあまりに違い過ぎてアマとプロの差をいつも感じました。
 (この人は、これ以上強くなる必要があるのだろうか)といつも感じていました。

 片岡さんは、一時期は保江先生の師範代として野山道場にて教授いただいておりました。
 普段は優しいのですが、時折「君たちは、身体や意識の外に極意があるという保江先生の
 有難い話を理解できていない。
 こんな貴重な練習をさせてもらえる道場は他にどこにもないのですよ。
 真剣さが足りないのではないですか」とお叱りを受けました。

 稽古を続けていた年末のある日、片岡さんのいつもの巧みな技に感心しつつ、つい調子に
 乗って、「片岡さんは、どういった感じでいつもの稽古をされているのでしょうか。
 それと、合気(愛魂)の極意をどういう風にとらえられておりますか?」と聞いてみました。
 すると片岡さんは私の目を見てニコリと微笑み、こう言われました。
 「恒藤さん、お体の調子はどうですか」
 「え? 調子はいいですが・・・??」
 「良かった。私は愛魂の極意については遠く達していないようなので良くわかりません。
 ただ、この稽古の間、恒藤さんの体の調子が良くなるよう祈りながら稽古していました」
 ・・・その言葉を聞いたとき、心の底から衝撃を受けました。今でも忘れません。

 当時は、保江先生から教わる技法がたいへん興味深いもので、宝の山を見つけたような
 気分でした。
 合気(愛魂)そのものよりも、それを補完する技のコレクターになった気分で、自分の技が
 相手にかかるかどうか、効き目があるのかどうかだけに関心を持つようになり自己満足して
 いたのです。

  (もう、技法にこだわるのはやめよう)私はすっかりうなだれました。
 (保江先生から再三にわたり戒められたことなどサッパリ忘れてしまい、挙句の果てに
 先輩に愛魂の極意はなんですかとなどと、ずうずうしく尋ねて、この始末だ) 稽古に
 取り組む姿勢が全然違うことを自ら露呈してしまい、穴があったら入りたいとは、
 まさにこのことでした。

 もう相手が幸せになるなら、それだけでいい。
 相手に合気(愛魂)を掴んでもらえばいいんだ。自分がその練習台となれば十分では
 ないか。

 それからは自己放棄ともいうべき心境になって稽古するようになりました。

 そうすると、また、ポツポツと不思議なことが起きるようになったのです。
                                      (13/10/3 恒藤和哉)



私の冠光寺流修業歴 Z
『野山道場の達人A』

by 恒藤和哉

  フランスのパリにて少林寺拳法を30年近く修業されていた近藤さんという方が
 2010年くらいまで稽古に来られていました。
 いまは仕事の関係で道場を離れておられます。
 http://www.youtube.com/watch?v=RvoYXTH_HOQ
 上記映像の少林寺拳法師範から直々に教えを受け、大柄で力の強いヨーロッパ人
 相手に技に磨きをかけてこられたとのことで、 前述しました片岡さんと双璧をなす
 猛者でした。
 風体も(失礼ながら)用心棒としかみえない雰囲気を醸し出しておりました。
 加えて、随分と喧嘩慣れしているのも明らかで、アマチュアの道場にプロがいる感じです。
 一方、その隣では女子大生たちが談笑しながら稽古しているのですから、当時の
 野山道場は不思議な空間でもありました。

   稽古の相手をしてわかるのですが、近藤さんには小技は効きません。
 武道を長く経験され完全に脱力した立ち居振る舞いとなっており、びくともしないのです。
 「突きの小手返し」という技があります。相手の突きに対して捌くわけでなく、
 捻るわけでなく、ただ受けて返すだけの技です。
 (いかに言っても、近藤さんの突きに対して冠光寺流の技は効かないのではないか)
 そうです、いくら保江先生から相手を大事に思うことや愛することですよと説明を
 受けても、実際の攻防に至ると、 自分の世界に戻ってしまい勝手なことばかり考えて
 しまいます。
 ところが、そうした懸念は見事に払拭されます。

 ただなんとなく技を行う私に対して近藤さんから注意を受けます。
 「恒藤さん、それじゃあ(技は)効かん。こういう受け方にした方がいいよ」
 保江先生から教わった合気補完技法の動作を正確に行うよう指導を受け、それを忠実に
 再現しますと、 どう殴っても蹴ってもビクともしない磐石と思えるような近藤さんが、
 愛魂によって崩れるのです。
 (ほんまかいな!)
 自分で技を掛けておいて自信はありません。
 近藤さんは技がかからない場合は相手に合わすような方ではないのでビックリしました。
 愛魂も大事ですが、それを補う技法もまた大事だということを学びました。

 型という点でついでに。実は保江先生の動きそのものが秘伝なのです。
 眼の向く方向、表情、立ち方、歩き方、手の形、間の取り方、技におけるタイミング等々。
 それらすべてに重要な意味があります。
 先生は皆の前であっさりと秘伝を公開されています。
 先生の語りは軽く、さらっと説明されるので気づき難いのですがその裏には実に精巧な
 技術体系が存在します。
 愛魂については、修業の度合いや過去の人生経験により順次レベルが高まっていくと
 思われますが、 それまでは補完技法を併せて学んでいくことも重要です。
 おそらくそれは、傷を守る瘡蓋(かさぶた)のような役目を持っていると思います。
 稽古がつまらなく感じるときもあるかもしれませんが、信じて続けてもらえれば幸いです。

                                      (13/10/11 恒藤和哉)



私の冠光寺流修業歴 [
『野山道場の達人B』

by 恒藤和哉

 保江先生が高専柔道の寝技を研究されている時、ちょうど経験者が岡山市内で
 見つかったとのことで、その方をお呼びした勉強会に参加しました。
 高専柔道と不遷流柔術を深く学ばれた方で、当時の岡山県柔道の大会で優勝した
 経験もある実力者だったとのこと。
 競技柔道でも優勝しつつ、あわせて古流を極めた、まさに達人といった方でした。

 ただ、年齢がすでに70歳を越えており、失礼ながら(大丈夫かいな)との思いも
 ありました。
 「柔道着を着るのは30年ぶりだなぁ。武道とは完全に縁を切ったつもりでいましたが、
 大学教授である保江先生に依頼されては来ないわけにはいきません。
 感謝しています」と挨拶され、カクシャクとされていました。
 持参された柔道着は黄色に変色していました。

 準備時間、その方は、静止して腕立てを行いながら同時に足を左右に組みかえるという
 動作をされていました。
 交差のスピードが異常に速く、とても70歳を超えた方の動きには思えません。
 余談ですが、古流武術の場合、技そのものよりも準備運動に案外と秘伝が隠されて
 います。

 「私が若ければ、実際の攻防の中で技を紹介できるですが、そうもいかないので
 説明形式でお伝えします」と話され、まず相手を落とす(気絶させる)方法と原理を見せて
 くださいました。
 「もうこういう技は世で必要ではありません。こまかく教えることはできませんが」と
 前置きされ、形のみを見せていただきました。
 予想と異なり、撫でる(触れる)ような柔らかい動きです。
 「これだと相手に感知されずに、眠るように落とすことができるのです」
 確かに、組み合っている攻防の最中だと、相手にはまず気づかれないような方法です。
 戦国時代の殺人技術の香りがする、ゾクっと背筋が寒くなるような技法でした。
 護身的には、相手には掴ませるのはもちろん、触れさせるのも致命傷だということを
 学びました。

 「落とす技とあわせて、逆に活を入れる方法も少しやってみますか」
 傍観者に徹するつもりが稽古相手に指名されてしまい、何をどうされるのかドキドキ
 しました。
 実際に活を入れる方法を実際受けてみますと、昔の忍者漫画にあるような後ろから
 膝でガツっと当身を入れるようなものでなく、形こそ似ていますが、これがまた柔らかく
 「気持ちがいい」のです。
 あまりの気もちの良さに声が出そうになったくらいです。
 固め技も少し教わりました。
 寝技の連続としての固めなのですが、見たことのない形で相手の腕を押さえ込まれます。
 これもまた優しく触れるように押さえ込まれるため、どうにも身動きできません。
 力で押さえ込むのではなく、柔らかさが共通する内容です。
 力を意識できないと反撃も難しいのです。

 かつて柔術は、「やわら」と呼称されていたそうですが、なるほどと腑に落ちる内容
 でした。
 そのほかに柔道技に対する反撃技など、あまり知られていない技術を教授いただき
 ました。

 また、柔術といえば、ある日道場へ行きますと黒帯を締めた女性の方が座っていました。
 聞いてみますと遠方の神戸から岡山へ一人稽古に来られたとのこと。
 某流派の柔術の有段者とのことで、ただ驚くばかりです。
 凛とした力みの抜けた技の連続です。
 (さすが神戸、こんな品のある綺麗な人が武術をたしなんで、しかも一人で来られる
 とは!!)
 その後、その旦那さまが野山道場を訪れることになります。
 炭粉良三氏です。
                    (13/10/19)

 ※書かれている内容は2009年頃のものです。



私の冠光寺流修業歴 \
『炭粉氏来訪(前編)』

by 恒藤和哉

 その日は、たまたま岡山駅から保江先生に道場まで車で送っていただくことになって
 いました。
 (実は保江先生は、電車や新幹線などで来られた人には、岡山駅から野山道場まで
 自らが自家用車を運転して送り迎えしてくださるのです)

   たいへん恐縮しながら待っていますと、先生から「今日は道場見学の方も同席され
 ます」と話がありました。
 ふらりと現れた氏は目つきが鋭く細身の方でした。
 先生から、「彼は神戸で○○○空手の指導をされている炭粉さんです」紹介がありました。
(うわ、これはまた凄い人が見学に来たものだ。○○○空手の現役指導者とは!!)

 その頃、私はやっと冠光寺流初段を允可いただいたばかりでした。
 教えていただいた複数の補完技法をやり繰りし、やっと技をかける真似事が出来ていた
 状態でした。
 (愛魂揚げが通じるような相手なのだろうか)
 野山道場には空手の有段者の方が複数通われていましたが、フルコン空手指導者となると
 別格です。
 ・・・この時点で、相手を大事にするとか愛するとかいう考えは頭からまったく消えています。

 稽古がはじまるや否や、保江先生から「恒藤さん、炭粉さんの稽古の相手をお願いします」と  指名があり、やはり予感は的中。顔は引きつりつつも笑顔が必要です。
 (保江先生と冠光寺流の名誉を守るためには、どんな手段を使っても投げねばならない)
 普段はのんびりした性格の自分ですが、こうした状況で独りよがりの解釈をし、マンガの
 世界のような幼稚な思考に陥ってしまいました。
 またまた反省です。

 ただし、お互い礼をしたあたりから、野山道場の雰囲気が変わりました。
 (あ、保江先生が愛魂をかけられた)
 暖かく柔らかい保江先生の愛魂が野山道場を包みます。
 ほっと一安心です。

 最初の愛魂揚げの稽古がはじました。
 炭粉氏は、さあお手並み拝見とばかりに容赦のない凄まじい力で抑え込んできます。
 (やはり力が強すぎる。・・・揚げれないな)
 掴まれた手首に意識が集中してしまい、相手と私の意識の殻が思い切りぶつかって
 います。
 こうなっては、もはやどうすることもできません。
 愛魂が掛けれない、というか、完全に愛を忘れている最悪の状況です。

 そうして緊張して固まっている私を見るに見かねたのか、保江先生の助け舟がきました。
 「恒藤さん、腕を△△のようなものと思って、思い切り▲▲・・・」と言葉をもらいました。
 (あの肘打ちの練習はこの状況で使用するためなのか!)
 保江先生の教授される不思議な練習や稽古法は、やはり意味があったのです。

 過去の打撃稽古の意味が一瞬に氷解します。
 目からウロコの発想です。
                              (13/10/25 恒藤和哉)

 ※書かれている模様は2008〜9年のものです。



私の冠光寺流修業歴 ]
『炭粉氏来訪(後編)』

by 恒藤和哉

  いつもの愛魂揚げとは違う方法でしたが、保江先生の愛魂と合気補完技法の即興で
 炭粉さんをなんとか投げることができました。
 起き上がった炭粉氏は、「わっ、やっぱり不思議だな〜」とニコニコとした表情です。
 実は、あとでよくよく聞けば、保江先生と炭粉氏は「唯心論武道の誕生」ほかである
 ように複数回、真剣勝負の立会いを行い、納得の上の友好的な意味での道場来訪との
 ことでした。
 ・・・それを知らない私は一人カラまわりしていただけでした。

 愛するとひとことで言葉といっても、心の余裕と相当な護身的な自信がなければ攻撃して
 くる相手を愛する心境にはなかなか成れません。
 ここに武術的な稽古する意味があるのと思うのです。

 少林寺拳法に「力愛不二(りきあいふに)」という言葉があります。
 力と愛は両方必要という意味で、相手が改心すれば許すという慈悲心を含めた言葉なの
 ですが、力が先に記されています。
 相手を改心させるような愛は理想です。
 しかし、凡人である我々にとっては、その地点には直ぐにはたどり着けません。
 残念ながら、まずは「力が先」なのかもしれません。

 そのあとの稽古におきましては、炭粉氏は、関西の人特有の冗談の大好きな方で声も
 メチャ大きく、野山道場が普段の10倍くらい明るく騒がしく「笑い声」に包まれました。
 加えて、氏は文才にも長けておられ、複数冊の合気に関する著書を記されるのは
 ご存知のとおりです。

 その後、気空術を創始される畑村氏も野山道場に来られ、ますます賑やかになって
 いきます。
 畑村氏の摩訶不思議な気空術の技は、ぜひとも経験されてみてください。
 人生観が変わります。

 余談ですが、フルコン黒帯同士のお二人の挨拶がわり?のド突き合いを見ました。
 壮絶な迫力でした。
 お互い漫才みたいな会話を延々としながら、親のカタキかというくらいドツキあうのですから。

 そして炭粉氏、いえ炭粉大先輩と私との不思議な関わりについては、またいつか。

 これ以降につきましては、現役で稽古されていらっしゃる方々の登場となります。
 それはできませんので、2009年頃までの野山道場での稽古風景を書き綴るのは、これで
 終わりとします。

 冠光寺眞法を保江先生が各地(ハワイも!)で指導されるようになり、本当に嬉しく思います。
 当時から、保江先生は冠光寺眞法を魂の技として指導されていました。
 門下生の一人として私は、「これは世には理解されにくい。
 たぶん、誤解される可能性が大きい」と悲観的な想いをもっておりました。
 スミマセン。未熟な私の見解で、まったくの杞憂でした。
 これを受け入れ、理解し、喜ばれる方が日本中に多数いらっしゃったのです。
 ありがとうございます。
 愛と魂に触れると、奇跡としか思えないような出来事が実は、毎日のように起こります!

 いろいろな?合気、愛魂があります。
 それぞれ楽しみましょう。
 最後に。Qさん、私の拙い文章の校正と修正加筆、本当にありがとうございました。
 【おわり】
                              (13/10/28 恒藤和哉)