冠光寺流柔術本部
フォーラム冠光寺流
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保江先生・合気・
冠光寺流との出会い
B



by 白川 至

 「事が簡単ではなかった…」とは、女子大生との稽古でした。

 保江先生が在籍なさっておられる女子大の学生さんたちも稽古に参加しておられましたが、

 男性同士で稽古した後、女子大生のAさんとの稽古で合気上げをかけたところ、全然、

 上がらず!何度やってもAさんの肘だけが動くという有様で、Aさんが「あっれぇ〜。

 変ん〜!?」と爆笑!!!

 これには、参りました。ああでもない、こうでもない。とにかく力まないようにとそれを意識

 すればするほどうまく行かなくなり、「今日は、やめておいた方がいいですよぉ〜(笑)」と

 Aさん。

 ここで、Aさんとの稽古を切り上げ、また男性の門下生との稽古をはじめました。

 すると今後は、「おおっ!上がるじゃないか!」さっきまでの、Aさんとの稽古でにっちも

 さっちも行かなかったのが嘘のように・・・!?

 う〜ん。これはどういうことなのか!?その時、保江先生が佐川先生から「女性とやって

 みないと本当の合気は分からない」という意味の事を言われていたことを思いだし、

 「あっ!このことだったのか!」と合気に対する認識を新たにしたのでした。

 男性同士であればどうしても無意識の内に力に頼りがちになってしまいます。

 しかしながら女性であればその点、力が抜けて脱力しやすい。

 なんというか、勝手に言葉を造ることをお許しいただけるならば、「合気体」というべき

 ものでしょうか。そのような状態にいつでも自分の身体をセットできるのではないかと

 思いました。

 そして、次のテーマは当然のことながら、「どうすれば自分の身体も『合気体』というべき

 状態にセットできるのか?」ということでした。

 さらに、身体だけではなく、心の状態、ひいては魂の状態を『合気心』『合気魂』のような

 状態にセットしていく、いみじくも保江先生が『愛魂』と名付けられた状態を必要に応じて

 自由自在に使えるようにしていくのが冠光寺の修行のメインになるのだろうかと思ったの

 でした。

 【続く】
                                 (14/7/13 白川 至)



保江先生・合気・
冠光寺流との出会い
A



by 白川 至

 合気系の武道を学ぶのは、初めてということで毎回の稽古がとても新鮮でした。

 道場も一昔前の劇画等にときどき掲載されていた道場のイメージである「殺伐」「殺気

 立った」「初心者いびり」などとは全く無縁のもので、とても和やかな雰囲気のなかで

 稽古が進んで行きました。

 最初、「合気の技」について「力のベクトル」と「フェイント」という点から考えていました。

 たとえば「合気上げ」では相手が両手首をがっちりと押さえ込んで来てる状態で、相手の

 力のベクトルと真反対に合気上げをかけようとするから力比べになってしまう。

 「相手の力のベクトルに逆らわない→ベクトルをはずす&フェイントをかける。」という図式

 でしょうか。

 相手ががっちりと自分の両手首を持った状態でそれに逆らわないようにして力のベクトルを

 そらしてみる。

 合気とは「ベクトル外し」とその時、相手が一瞬「あっ!?」と思った瞬間に仕掛ける。

 これが合気ではないかと自分なりに解釈して、参加されている皆さんと合気上げの稽古を

 して行きました。

 この方法で合気上げをやってみたところ、自分より体重の軽い人には何とか通じるものの

 重い人には全然通じなかったのです。

 また、思い切り両手首を握って来る人も同様。

 ピクリともせずに、はてどうしたものか・・・。

 当時、先輩の誰だったか失念したのですが、「作為を用いないで・・・」「自分の意識を

 ◯◯◯に」という意味のことをアドバイスされました。

 このときは、「ふうん。そんなものか」とだけ思ったのですが、実際にそれを試してみると

 いままでピクリともしなかった相手にすっと合気上げが成功し、「おおっ!これだった

 のか!!」と感激しました。

 しかし、途中まで合気上げが成功した時点で、「よっしゃぁー!」と思った瞬間に力任せに

 なり、いわゆる「合気が切れる」ということも経験し、とにかく「相手に両手首を握られて

 いることを意識しない」「相手の攻撃(正面打ち、突き、横面打ちなど)を攻撃として意識

 しない(モロに受けない)」という点に注意しながら稽古を続けて行きました。

 当時のメモを見ますと、入門当初はさきほど述べましたように「自分の意識を◯◯◯に

 ◯◯す」「自分が◯◯◯◯◯に成りきる。」「自分の横に◯◯◯◯をそっと置くような

 気持ちで」等々の書き込みがあり、今から見ると「相手の攻撃等を含めて相手そのものを

 対立する存在として扱わない、意識しない」ということではなかったのかと思っています。

 この点に注意しながら保江先生からのアドバイスを度々、いただきながら稽古を続け、

 その内、諸先輩はじめ門下生の皆さんの中でも体重が80キロ以上あるような方にも

 合気上げができるようになって来ました。

 しばらくすると「簡単じゃないか。これが合気の正体なのかな?」などと勝手に解釈し

 はじめていました。

 ところが事は簡単ではなかったのです・・・。

 【続く】
                                 (14/2/03 白川 至)



保江先生との出会い、
合気との出会い、
冠光寺流との出会い
@



by 白川 至

 まずは自己紹介させていただきます。
 私は、以前より宗教・精神世界・武道・格闘技等々の世界に関心を持っており、幾つかの
 武道も実際に経験して来ました。

 年齢的に、空手ならば「虹を呼ぶ拳」「柔道一直線」「あしたのジョー」そして、
 「空手バカ一代」「男組」と夢中になって読みあさり、また、テレビに釘付けになったもの
 でした。
 また、「ウルトラマンシリーズ」「仮面ライダーシリーズ」の直撃世代でもあり、どこかに
 ヒーローに対するあこがれがあったのかもしれません。

 中でも空手道に対しては、「空手バカ一代」の影響からか大変、興味を持ち、「自分も
 いつか学んで見たい」という思いがあり、某空手道場へ入門10数年学びながら、ここ数年は
 古流の沖縄空手に関心を持ち修行しております。

 保江先生の著書で最初に出会ったのは
 ・『武道の達人』柔道・空手・拳法・合気の極意と物理学
 ・『武道vs.物理学』 (講談社+α新書)
 だったと思います。
 それまで武道の世界で「秘伝」とか「奥義」と称されていたものを物理学の視点から解析
 なさっておられることに大きな驚きと関心を持ちました。

 やがて「一度、保江先生にお目にかかりたい。」という思いが沸き起こるのは、当然の
 成り行きだったと思います。

   あれは、平成21年の4月に清心女子大学に手紙を出したところすぐに返事を頂戴し、
 「現在、土曜日の13時から野山武道館にて稽古しています…。」とあったので、早速、
 見学に出かけました。
 野山武道館の駐車場に到着したとき、ちょうど、保江先生も車から降りられる時で、挨拶をし
 武道館の中に通されました。
 保江先生の第一印象は、写真でお見受けしのと同じような大らかで包容力のある飄々とした
 感じとでも言えば良いのでしょうか?
 ちょっと表現は違うかもしれませんが、ある種の“懐かしさ”の様なものを感じたのを覚えて
 います。
 当時は、師範代の藤井さんが指導なさり、ちょうど関西から絹川さんら一行がお見えになって
 おられたと記憶しています。

   当時は、保江先生が門下生の前で、合気上げから投げ、正面打ちなどを藤井さんはじめ
 古参のお弟子さんたちを相手に解説を交えて演武をなさるという方法でした。

 門下生の皆さんの稽古が始まりました。
 型稽古オンリーで座った状態からの合気上げ、投げ、正面打ち、付き、横面打ち等々。
 続いて立ち技に移っていきました。
 あの当時は、一つ一つの技を保江先生が師範代を相手に演舞なさり、注意点等を解説し
 ながら皆で稽古するというパターンだったと思います。

 それを見た時に、以前、合気に関するある出来事(?)を思いだしたのです、以前、合気道
 某流派の有段者の方がお話しされていたことです。
 (その方は三段を持っておられたと記憶しているます)その方の弁によれば“合気の技は
 お互いの信頼関係の上になりたっている。
 そうでなければあれらの技は掛からない。”というものでした。

 生まれて始めてみる『合気』に新鮮な感動と共に一抹の不安が過ぎったことも事実です。
 ですが、保江先生から受けた印象から「やってみよう」という気になり、入門をお願い
 いたしました。

 こうして、冠光寺流へのはじめの一歩が始まったのです。
 【続く】
                                 (13/11/11 白川 至)