冠光寺流柔術本部
私は保江邦夫先生から何を得たか
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   保江邦夫先生から自分は何を得たか(加筆・修正版)
 〜常識からの脱出ー争わず・逆らわず・傷つけずー日常生活を合気化する〜

                          白川 至  

 早いもので私が保江邦夫先生に入門を許可されてから今年(平成29年)で足掛け10年目となりました。

 へたくそながら空手道の修行をしていましたが(現在も継続中)、他の武道武術にも関心を持っており、特に合気系の武道については、一抹のうさん臭さを感じながらも、世界中の武道家、格闘家の探し求めていた解答がそこに隠されているのではないかという、期待感もあったことは事実であります。

 よく、武道・格闘技について、柔道に限らず、「柔よく剛を制す」という言葉を用い、
「技さえあれば力を制することができる」、「小が大に勝つことが武道の奥義である」と思っている人が多いようなのですが、現実はそう甘くありません。知り合いの武道・格闘技経験者に聞いても特に自分よりも大きい相手を制するのは、容易なことではないことが分かります。

 「合気?なんじゃ?あれはな、道着を来て盆踊りやってるようなもんじゃ!」
とは、知り合いの某柔道指導者の言葉です。その方は、ずっと柔道を修行なさり、大学も柔道で全国的に有名な実力校の出身なのですが、続けてこのようなことも言われていました。
 「柔道の試合で寝技にでもなってみい。120キロ、130キロが上に乗っかってくるんぞ。」
 「一番軽い階級のメダリストや選手権優勝者が重量級の無名の選手に瞬殺されるんじゃ。考えてみみろや、軽い階級の人間だけじゃねぇ。100キロ級や100キロ超級の人間も自分よりでかいやつをどうやって投げるかで稽古を積んでる。
 柔道の素質が一緒、稽古量が一緒だったら、パワーがある分でかいほうが有利になるじゃろが。『柔よく剛を制す』ちゅうのはの、下の階級の者が上の階級の者以上に稽古を積んで、『初めて、たまたま、偶然』言えることなんじゃ。」

 さらに、あるボクシングの指導者の方との会話の中で、
  私「ボクシングで自分より5キロ重い人とスパーリングやって勝てますか?」
 相手「う〜ん。パンチがカウンターで決まっても難しいですね。」
私「では、10キロ重い人とスパーリングしたらどうなりますか?」
 相手「(即座に)自殺行為ですね。人間サンドバックにされます。」

 このお二人のコメントについてはいろいろと異論のある方もいらっしゃることと思いますが、「乱取、組手、スパーリング」といった自分が習い覚えた技を自由に使って攻防する練習体系を持っている武道・格闘技の経験者なら少なからず経験していることなのではないでしょうか。また、逆に「技万能」に陥っている人々は、それこそ型稽古のみの練習体系しか持っていない武道・格闘技の経験者が圧倒的に多いのも事実であります。

 故大山倍達館長が、「パワー空手」を標榜されたのもそういった経緯からで、白人黒人の中には身長180〜190p 体重が90〜100sくらいの体格をしている人たちが普通にごろごろしてる。そこに技を覚えられたらひとたまりもない。

 さらに、かつて極真の支部長として活躍され、大道塾を創立された東孝師範が、極真在籍中から「顔面ありの組手」「顔面ありの試合」を大山館長に進言しておられました。
 その際、大山館長も顔面ありを否定されていた訳ではなく、次のように述べられたと聞き及んでいます。「東君、君の言うことは良くわかる。けれどもね、『顔面あり』にしたらなおさら外人には勝てないよ。」
「顔面なし」のルールは、あくまでも「空手」という武道、日本の伝統文化を守るための措置であったと思っています。(ただし、それが後々、問題になってくるのですが)
 そして、東塾長も大道塾の試合において「なるほど」とそのことを納得されたと聞き及んでおります。

 それでは、「技+力」となればなおさら、体格差、体重差に影響され、自分よりも大きい相手にかなわないのか?過去、日本でも中国でも武道武術の達人と呼ばれた人々の武勇伝とは時間の流れとともに、誇張されたものだったのか?

 その問題を解決する一つの糸口が『合気』にあるのではないかという直感的な想いも募り始めていて、あれは平成20年頃だったと思いますが、書店で「武道の達人―柔道・空手・拳法・合気の極意と物理学」(海鳴社)「武道VS.物理学」(講談社+α新書)を見つけたのが『保江邦夫』先生という方を知った最初であったと思います。

 これらの著書で保江先生という存在を知り、さらに地元岡山、ノートルダム清心女子大学で教鞭を執られている物理学の教授であることを知りました。この二冊の本は、専門であられる物理学の立場から武道の解析を試みられたもので読み進めていくうちに「一度、保江先生にお会いしたい」という思いがつのり、お手紙を出したのが翌年の平成21年であったと記憶しています。

 すぐに保江先生から返事をいただき、現在、野山武道館で指導なさっていらっしゃるということでさっそく、見学にでかけました。武道館の駐車場でお待ちしていたところ、写真と同様のあの独特ヘアスタイル(?)の先生をお見受けし、簡単な自己紹介を兼ねてご挨拶をし、見学させていただきました。

 当時は、まず保江先生が師範代の方と演武をなさり、それを門下生が真似ながら稽古をし、先生がチェックされるというやり方だったと思います。
 その日の内に入門を許され、次の週から道場通いがはじまりました。当時は毎週、土曜日曜の週二日が稽古日で、空手道以外の武道が初めての経験だったのでとても新鮮な稽古でした。

 その中で特に貴重な経験は、「その時の意識の状態が技のかかり具合を左右する」ということでした。自分より大きく体重もある相手を合気上げでいとも簡単に成功したかと思えば、女子大の学生相手に悪戦苦闘する・・・。

 なぜなのか。稽古をすればするほど「合気とは何か?」という疑問がフツフツを沸き起こり、その疑問を解決するために道場に通う。保江先生が、指導なさっておられる時に、質問をすれば即座に技をかけられて説明していただきました。
 「脱力が重要なのか?」「どこまで脱力するのか?手首?前腕?肘?肩?上半身?全身?」等々、考えれば考えるほど掛からない。
 そうこうするうちにA堀さん(当時、師範代。現免許皆伝)から「考えすぎですよぉー!」との一言が・・・。なるほど、あれこれ考えている内に身体も硬くなり、居着いてしまう。

 そして、何より心が柔軟性を失ってしまう状態になる。その根底にあるのは、「合気上げでどうすれば相手が上がるのか?」にはじまり、「いかにして相手に合気をかけることができるのか?」それは、すなわち「いかにして相手を倒すのか?」という想いがあるからではないか?

 ブルース・リーの代表作「燃えよドラゴン」の冒頭で弟子に稽古をつけるシーンがありますが、そこでブルース・リーが言った言葉が「「Don't think. Feel!」(考えるんじゃない。感じるんだ)と弟子に悟すシーンがあります。これも合気の使い方を表現した一つではないでしょうか?

 武術の勝負では時々刻々と状況が変わっていきます。その中で考えている時間が全くないかあってもごく瞬間的なものなので、相手に対応することが難しくなって来ます。
 ならば、考えなければよかろう。それよりも、相手の身体、心、想いというか相手の存在そのものを感じることが重要なのだと・・・。
 ただ、これも合気の段階の一つに過ぎないのではないかと思っています。合気の究極の段階とは何か?修行も浅い私がこんなことを申し述べるのは誠に口幅ったいことですが、それは、次の言葉に代表されているのではないかと思っています。
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(マタイ伝18章4〜5節)
 このような状態に心身を保つことができれば、もはや相手と争うことも、競うことも、逆らうことも、さらに傷つけることもなくなり、その場を天国とすることができるのではないか。まさに「合気は愛気、愛魂」を体現することができる状況であると思っています。

 ただし、「言うは易く行うは難し」で、これができるようにするのが修行なのですが、情けないことにこれが一筋縄では行きません。これからは、これを目標にしていこうと思っています。

 さらに、この究極の状態が、「戦わずして勝つ」「勝ち負けを超越する」ということになるのでしょうか。先般、部屋の片づけをしていた時に以前、購入したある本を見つけました。その中に次のような一節がありました。

 『鎌倉時代末期、刀匠として名高い正宗の刀と、弟子の村正の刀とで、どちらの斬れ味が鋭いか実験することになった。

 どういうわけか正宗の作った刀は無銘のものが多く、いまでも正宗という銘が入っている刀は稀で、短刀が数刀、それ以外はほぼ存在していない「幻の刀」といわれている。その為か正宗作と鑑定された刀はほとんどが国宝、もしくは重要文化財となっている。正宗は代々引き継がれその子孫は現在も鎌倉で刀鍛冶を営んでいる。

 一方、村正にまつわる言い伝え、家康の祖父松平清康が家臣の安倍正豊に刺殺された短刀が村正、家康の父松平広忠が片目弥八によって殺害されたのも村正(岡崎領主古記)、家康の嫡子、松平信康が織田信長の命令で切腹させられたとき、介錯人の服部正成が腰に差していた刀も村正、家康夫人築山御前を小藪村で野中重政が殺害して斬った刀も村正、真田幸村が大阪夏の陣で家康の本陣を急襲して家康に投げつけた刀も村正という伝承。

 このように徳川家と対立する者には縁起物の刀として大事にされた。幕府転覆計画が露見して処刑された由比正雪が持っていた刀も村正で、徳川家にとっては好ましからざる刀、凶を呼ぶ不吉な「妖刀」として持つことが禁止されていた。

 両者を見比べただけで、正宗と村正の評価が分ろうというものだが、不吉といわれる村正の刀の方が、正宗にも引けを取らない斬れ味を持つとされていた。

 さて、両者の刀の斬れ味は如何にと、静かに流れる小川で実験することになった。小川の流れの中、刃先を川上に向けて刀を立てる。川上から木の葉を流すと、村正の刃先にふれた葉は見事に真っ二つに切れる。師匠の村正の方はと見れば、木の葉は、その刃先にふれようとした瞬間、木の葉は刀の威厳に怖れをなしたかのように、よけて流れてしまった。

 これは驚くべき実験であった。正宗は人を斬るということに関心をもたなかった。それは切る道具以上のものだった。
 しかし村正は、切るということ以外に出られなかった。村正には心を打つような神聖なものは何もなかった。

 村正は恐ろしいが、正宗は人情味がある。村正は専制的であるが、正宗は超人間的だ。柄に銘を刻むのは刀工の習慣であったが、正宗はほとんどこれをやらなかった。』
(鈴木大拙「禅と日本文化」)

 実際には、正宗と村正との間に師弟関係はなかったのですが、この逸話は、禅の極意を示すものとされており、さらには、合気の極意をも表しているのではないかと思っています。
 村正の刀は「妖刀 村正」とも称されるように、人を切る「殺人剣」としては究極の刀であった。だが、そこから一歩もでることができなかった。
 片や、正宗の刀は、「斬るという次元を超越した」境地に達していたのでないかと剣の素人ながら考えている次第であります。

 これと似たようなケースとして、出典を失念してしまったのですが、かつてベトナム戦争に従軍した神父(牧師)を明らかに『銃弾が避けて飛ぶ』ところを多数の米兵が目撃したという出来事があったそうであります。目撃者が一人だったら錯覚で片付けられるでしょうが、多数の米兵に目撃されたということは、かなり信ぴょう性が高いと思われます。
(出典が分かり次第加筆、訂正させていただきます)

 また、大東亜戦争中、南方の島で米軍の爆撃にさらされ爆弾が次々に投下される中、退路を断たれて絶体絶命となったとき、当時信仰してた宗教の修行を思い出し、「爆弾本来なし」と強く念じたところ、自分の周りに落下した爆弾がすべて不発弾だった経験を持つ、某新宗教教祖(故人)。

 さらに、これは、保江先生から教えていただいたのですが、「今は政治家になっているコリン・パウエルがベトナムの米陸軍で将軍だったときに、最前線の土嚢の上に突っ立って『撃てるものなら撃ってみろ』とベトコンに叫んだそうです。
 そうしたら実際にベトコンが発砲してきた銃弾がそれて一発も当たらなかったと聞きます。パウエルはアメリカインディアンの呪い師から秘術を授かっていたとのこと・・・。」

これらのケースは次元が異なるかも知れませんが、それぞれに「合気の階梯」を体現したものではないのでしょうか。
 自分自身、一生かけてそこまで行くことはできないでしょうが、行きつ戻りつ修行を続けて行こうと思っております。

 そして、道場へ入門して来られる方々との出会い。そこから新しいつながりが生まれていく修行の面白さ、先日、ふらりと立ち寄った自然食レストランの一室に飾ってあった言葉、「出会は出愛」とはまさに至言です。
 平成29年、5月6日(土)、なんと今年初めて野山道場に伺いました。保江先生もお見えで、ご無沙汰していたことをお詫びするとともに近況について簡単にお話しさせていただくことができました。

 また、当日の稽古も大変、適切なご指導をいただき、実りあるものでした。なんと申しますか、道場で皆さんと一緒にいるだけで、何かしら元気になると言いますか、「元気をもらっている」いや「合気(愛気)」をもらっているのでしょうか?

 これを機会に、心機一転、できるだけ時間を作って稽古に参加させていただこうと思った次第であります。
 結びに、現在、保江先生の門下生で独自の活動をなさっていらっしゃる方々が多数、おられます。

 一例を挙げますと、炭粉良三氏のように保江先生との立ち合いを自分なりに再現され、「零式活人術」を創られた方。畑村洋数氏のように合気道と空手道を合体させた新しい武道、「氣空術」を創られた方。

 さらに、加藤久雄氏のように 自然学舎「どんぐり亭」を開き、教育に応用されている方等々・・・。

 これらの方々の活動は実に素晴らしいものだと思います。もし、武道・格闘技を修行中の方ならばそれに合気を応用することで新しい局面が拓けるのではないでしょうか。

 さらに、この活動は私たち門下生一人ひとりにとっても、家族との生活、近所の人々、知人友人との交流、仕事・職場への応用など、日常生活においてさまざまなジャンルで合気を応用するといいますか、保江先生から伝承された「合魂のDNA」を受け継ぎ、百花繚乱、それぞれの道で自分なりの合気の花を咲かせることができるのではなかいと思っております。

 また、保江先生の教えを受けて、それを一度忘れても良いのではないか?これからの人生の中で、何か新しいことに出会った時に、その教えを想いだし、実践してみる。

 もし、不安ならば道場に顔を出してみる。長期間、休んでいても全然、問題なく、そこには、保江先生はじめ門下生たちが「お久しぶり!」「お帰りなさい!」と温かく迎えてくださることと思います。
 「愛気(愛魂)の家」という修行の場を創ってくださった保江先生に心から御礼申しあげます。

 そして、これからもよろしくご指導ください。
                                   (2017/ 8/11)