冠光寺流柔術本部
私は保江邦夫先生から何を得たか
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   「冠光寺流の出会いから10年」

  電車待ちの名駅書店で「合気開眼」が目にとまりました。野山武道館は数十年前の合気道の稽古場所であり、岡山もしばらくご無沙汰しており懐かしさも相まって初めて冠光寺流の稽古に参加いたしましたのが平成20年2月9日です。それから今日まで保江先生と冠光寺流の皆々様との稽古を通じまして得たものは多々あります。マザーテレサのお話やサムハラ神社参拝のとき不思議なことに遭遇したこともありました。この10年近くの間に感じ得たことを2〜3点ほど書きつづります。

  まず宮沢賢治の本を改めて読み返したときその意図がすっと受け入られ、いままで思いもしなかった識が見えてくるようになりました。鴨長明の方丈記もそう。そこにみえる精神はさらにさかのぼり1万年以上続いた縄文時代の人々も共有していたと思われます。縄文土器や土偶をみつめていますとそれを感じ取りことができます。科学が急速に進歩した現代においても我々のなかのどこかにそれは根付いているはずです。

  また公園のベンチにて足元のアリをみてふと思ったことがありました。アリは恐らく私の存在は気づいていないでしょう。アリにとって私はお菓子を与えるとよい存在であり、進路を妨げると悪い存在になります。そして私がアリを見ているのと同様に何かが私を上のほうからみつめているものがあるような気がします。その何かは何であるかわかりません。それを神様としましょう。私がすべてうまくいけば良い神様に守られ、何事もうまくいかなければ意地悪な神様に悪戯されているのかもしれません。そこにはアリと私と神様とそれぞれ置かれている識があります。もし1匹のアリが止まり私を見上げて目と合うことができましたらそれは面白いことになります。

  武道とずいぶんかけ離れた話になりました。私がさらに上の識をめざしその識からみつめることができれば相手の方との対話や稽古がもっとうまくいくのではないかといろいろ模索しております。まだわからないことがたくさんあります。これからも稽古はいつも神様の空間が身近に感じられるように続けてまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。(MK)

                                   (2017/ 4/15)