冠光寺流柔術本部
私は保江邦夫先生から何を得たか
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   保江先生との出会いで、学んだこと。
 

                  東京道場    松岡良一  

私が、冠光寺流東京道場に入門しましたのは、平成25年5月でした。

その時の私は、土木作業員、ガソリンスタンドの店員、道路工事の旗振り、の仕事を経験し、治療業界(整骨)で揉まれ、整骨院を開業していました。
私自身は、小さい頃から、身体は、大きかったのですが、心はそんなに強くありませんでした。
それが、身体を使う仕事をするうちに、体力に自信がついてきました。
4年間整骨院で頑張り、そして、整形外科で悪魔のような人達と働いていると、ストレスで、お腹に激痛が走ったり、足が曲がったりしました。本当は、辞めたかったのですが、九州男児の父親が辞めるな!といい、3年頑張り、ここで、骨折とか、外傷を、意地悪されながらも、学びました。ここで、学んだことは、精神的な忍耐ということを学びました。そして、整骨院の分院長で、3年間頑張りました。10年業界で、やっていた時、病院時代の姉妹の病院の先生で、その当時、一緒にセミナーに行っていた先生が開業され、これから先、この業界も競争になるから、ノウハウを知っといた方がいいよ、と言われ、それも、大事かなと思い、その話を受けました。そうして、その整骨院に入ると、そこに、副院長がいました。同い年のその副院長の第一声が、「おまえ、院長の知り合いかもしれないが、ここでは、通用しないからな!」と言われました。その頃の私は、そんな言葉に、言い返すことも出来ませんでした。だって、恐いだもん。(笑) ある時、副院長が7メートル先を指していました。
何を言っているんだろうと思って見てみると、そこに、1ミリの糸クズがありました。
何でそれに気づかないだと、恫喝されました。(この院では、早い人は、半日で辞めます。)
私は、その当時、朝7時30に、1番で院に来て、患者さんのカルテを覚えたりしていました。
夜は、9時ぐらいに終わり、10時までミーティングをし、その後、院長の身体を1時間マッサージして、11時から、院長と新店舗の物件探しをし、家に帰るのは、3時過ぎでした。(院長は、偉いので、社長出勤!)そんな感じで、毎日3時間睡眠で、院には、鬼がいました。流石に、仏の顔を1万回ぐらい出来る私ですが、それが、怒りに変わり!、更に、殺意に変わりました。こいつは、人間的にクズだから、殺してもいいなと思うようになりました。その頃は、頭からは、湯気が出ている状態で、殺意を持った状態で、仕事をしているので、患者さんの気配とか、分かりました。もう少しで殺すところでしたが、こんなクズを殺して、私の人生と引き換えにするのは、勿体無いと思いました。そして、コイツに、なに一つ言わせないようにしようと思いました。ここで、私の中で、スイッチが入り、今まで、漫画を読んで面白いと言っていた私が、漫画を読まなくなり、仕事意識がバーンと変わりました。そして、今までは、癖のある人に意見が言えなかったのですが、どんな人にも言えるようになりました。メンタルが強くなりました。
この時は、殺してやりたい相手でしたが、この出会いが、私にとっては、仕事意識を、グーンとあげるターニングポイントになり、彼にとっては、口の利き方を覚え、人に優しくするのを、学んだと思います。(私が整骨院を開業してから、3回程、若い先生に見せてくれないかと言って来ました。)
今では、仕事に関しては、考え方が違いますが、いい関係だと思います。

私は、元々、警察官になりたい人だったので、正義はこういうものだというものを持っていました。
しかし、様々な状況や、様々な考えの人と出会ううち、世の中には、いろんな考えがあるなと思いました。
そうして、元々、不器用な方だと思うのですが、努力と根性を重ねるうち、どんどん思う通りの生活が出来るようになりました。
そうして、入門する時には、後は、悟るだけだなと思いました。
しかし、今まで通用していた努力や根性というやり方では、悟れませんでした。

そうして、道場に入門した時は、最初のうちは、黒帯の人に力だめしをしたりしました。
そうすると、力比べで、勝ったりは、するのですが、ある時ずーっと何十年もされている人とやった時、勝ってしまいその方を悲しませてしまい、これは、ダメだなと思いました。そこで、分かったのは、我を出すと、愛が出なくなり、愛が分からなくなる、大事なのは、愛だから、それを、目先の勝負でなく、愛を感じる方を優先しようと思いました。
そして、道場に行くと、何か幸せを感じて、また、行こうとというふうになりました。

26年の時に、黒帯の先輩が、こんな話をしてくれました。
その先輩が会社を辞めようと思った時、保江先生の人を見たら、神様と思えという教えをやってみたら、職場の雰囲気が変わって、辞めなくてよくなった。
で、私も、新患の患者さんに、やってみました。
私は、特に、宗教はやっていないので、神様に対して、本気でやっても、勝てない設定をし、接し方は、とにかく、馬鹿丁寧で、全てイエスという感じにしました。優しい人や、普通の人を神様と思うことは、簡単でした。  ある時、気が荒く、疑り深く、元ラグビーをして、ガタイも良く、5才上の交通事故にあって、怒りも抱えている人が来ました。私は、人生において、相当揉まれてきているので、どんな人でも、大丈夫ですが、この時に、湧いた感情は、いい年して、大人気ないなでした。そうは言っても、表面上は、馬鹿丁寧に接していました。しかし、彼と接しているうちに気づいたのは、いくら、表面上優しく、馬鹿丁寧に接してもその人は癒されないなというのが、分かりました。確かに、彼は、自己中200パーセントかもしれません。しかし、こちらが、それは、違うと思った時、こちらも、我が5パーセントか、10パーセントか、少し出ています。(相手を否定している。)それを、0パーセントにした時、彼の内面が出ました。どんな感じかというと、小さい頃に子供がお母さんに泣き言を言うみたいな。
そこで、分かった事は、物理的には、私という人がいるのですが、私の我が無いので、彼の我とぶつかりようがありません。
彼としては、この先生は、凄く私の事を分かってくれると思い、ここに、二人の間に信頼関係が生まれました。
信頼関係が出来ると、価値観の違いは関係なくなります。
この信頼関係を私は、愛と思っています。
価値観は、ただの人生を通して出来上がった考え方なのですが、どうしても、その価値観自体を私と思ってしまうので、それは、おかしいと言われると、私を否定される気持ちになり、頭にくるのです。だから、ある物事に対して、いいと思っている人と、悪いと思っている人は、お互いが正しいと思っているので、ぶつかるのです。私の場合は、以前は、努力、根性で生きてきているので、頑張らない奴、手を抜く奴は、嫌いでした。例えば、綺麗好きで、汚いのが、ダメで怒る人がいます。これは、綺麗は、いいけど、反対の汚いのは、ダメを持っています。もうひとつ、綺麗にすると、嬉しいという人がいます。この人の綺麗は、裏に汚いのがダメがありません。
反対の否定がありません。だから、汚い場所があると、自然に綺麗にしてしまいます。

よく、みんなが勘違いしやすいのに、ルールとか、法律とか、道徳とか、倫理があります。
多くの人は、これを、守らなければいけないと思っています。
これを、守らなきゃ世の中めちゃくちゃになってしまう!
こんなものは、仲良くやれば、いらないのですが、みんながワガママしないように出来たと思います。
ここで、実社会でよくあるのが、これを、盾に、ルールだから、守らなきゃいけないでしょうと、強いる人がいます。
これを、正論といいます。
言われた方も、それを、正しいと思っている為、何も言えません。
この時、言われた方の気持ちを考えていません。
だから、ルールとか、法律とか、道徳とか、倫理とか、これを、正しいと思った時点で、これも、価値観になります。

私自身、良かった点は、入門の時点で、父親と価値観がぶっかっていたのですが、その時は、父親に人生を教えるか(私も揉まれて自信がついたので)、父親の息子像を演じるかで悩んでいました。
(父親は、鹿児島出身で、親や、先生の言う事は、絶対と思っている。)

これが、今は、父親の価値観の奥にある愛が分かるので、父親が威張りたければ、どうぞ、どうぞ、と思えるし(ダチョウ倶楽部)、父親は、そういう環境で育ってきたので、その考えを持ってしか、息子に愛情を伝えられないというのが分かるので、何でも大丈夫になりました。

だから、ポイントは、意識を価値観に置くか、信頼関係(愛)に置くかだと思います。

ある時、道場で、大人の人が10人ぐらいで、寝ている私を(愛魂起こし)起こしてくれました。
そこで、感じたのは、お母さーーーん!と叫びたい気持ちでした。
この時、思ったのは、愛も1人より、多くの人の愛が集まると凄いなと思いました。

そして、その時は、その思いだけだったのですが、後になって、思ったのは、待てよ、そもそもみんなが松岡さんという大きい身体の人を起こそうという子供のような純粋な気持ちになったのは、この場を、保江先生が創っているんだと思いました。
先生、凄いなと思いました。

私は、保江先生を万能エネルギー(無償の愛)だと思っています。
だから、ある人には、こんな感じに見えるかもしれませんし、また、別の方には、違うふうに見えるかもしれません。
それは、その人の持っているもので、先生を捉えているからだと思います。
だから、先生は、何かの雛形があると、ぱっと、出来てしまいます。

よく、師匠とか、リーダーとか、先生という人が、今まで、西に向かうのが正しいと言っていたとします。
お弟子さんは、そうだと思って行動しています。
それを、これからは、東に向かうのが正しいと言ったとします。 すると、今まで、西に向かうのが正しいと思っていたお弟子さんは、分からなくなってしまいます。
これを、価値観の世界では、師匠は、おかしくなったとか、ブレたとか思うかもしれません。

しかし、保江先生は、万能エネルギー(無償の愛)ですので、今日は、西、明日は、東、明後日は、北、次の日は、南でも有りです。

これが、形(価値観)を見ているか、愛を見ているかの違いだと思います。

まあ、そんなことを言っている私ですが、保江先生のお陰で、とりあえず、悩みは、なくなりました。

後は、空間とか、もっと分かりたいので、これからも、よろしくお願いたします!
                                   (2017/ 7/ 7)